人の役に立つ、って何だろう

「人の役に立ちたい」という思いは多くの人が持っています。
でも、何が人の役に立つことでしょうか?
困っている人に親切にすること?
その親切は、本当に相手にとって良かったと言えるでしょうか?
その時は相手は喜んで良かったと言ったとしても、1年後…、5年後…、10年後…は?

2017年6月14日、千葉。
読脳アカデミー主催の読脳セラピークラスで、学長伊東聖鎬が「人の役に立つ」というテーマで講義しました。

伊東は何する人ぞ?

伊東
私は、これまでいろいろな人生経験を充分やってきて、
自分のことはもう終わらせました。

若い頃から、人が自分のことに振り回される人生を送っているのを見てきて、
そんな「自分のための人生」を早く終わらせて
「人の役に立つ人生」を生きたい、と求めてきたんです。

だから、自分を終わらせた後の、いわば「儲けもん」の人生をどう生きるかということを考えてきて、
今がまさにその「儲けもん」の時期を生きているんですね。
65歳くらいでそうなりました。
だから世界中で役に立ちたい、というスタンスでいるんです。

伊東流ー人の役に立つとは

では、人の役に立つ、って一体どういうことだと思います?

例えば、
人が悩んだり苦しんだりしているときに
手を差し伸べる・・・
そんなことが本当にその人の為になるんでしょうかね。
私はずっとこのことがテーマでした。

病気やトラブルは、人が成長するためのチャンスですよね。
それを私が手を差し伸べてその人から取り上げる訳には
いかないですよね。

自分がその立場ならば
絶対に他人が余計な事をしてほしくないですね。
どんな状態だったとしても「私のチャンスを奪うな!」と思います。

たとえ体が不自由になったとしても、最後まで自分でやり抜いて
納得したいですよ。
私はそういう考えなんです。

こういう私が、若い頃から人の役に立ちたいと考えてきましたから、
じゃあ、どうしたら人の役に立つのか、と考えたときに

私ができるとすれば、
その人が自分の人生を掴むための「ハードル」をいかに用意できるか、ということなのです。

ハードルを越えたらその人は必ず成長するのですから
相手が成長するためには、自分がどんなハードルを差し出したらいいのか
いつもそういう考えでいますね。
親に対しても、兄弟、子供…みんな同じです。

普通の人ならば、楽に生きたいと思うのが常ですが、
そういう人には、足をひっかけて転ばせてあげたいですね。

転んだあと、そこから這い上がってこれるかどうか、ですよ。
起き上がれないとすればそれまでです。

私はそういうタイプですよ。
私は転んだあと、何度も這い上がってきた人生を送ってきましたから。

別に人を転ばせたいという訳ではないですが、
そういう考え方なので、どうしてもそういった、
実は転んで這い上がることを願っている人が集まってきますよ。

でも、日本は困った人には優しく親切に、という風潮ですから
いつまで経っても人は成長はしないし、
それは本当の優しさがある国でも何でもないですよ。

「本当」がない社会

人の本来あるべき姿は
自分が本当の気持ちを表現し、自分はこういう風に生きたい
こういう風に生きなければならないんだ、ということを掴むことなのに

今の日本社会のシステムの中で、それを掴ませないよう、ただ生かされている。
その中でさらに優しく親切にするということは
もう、何も考えずにただ食べて寝ていればいいのだ、ということに他ならない。

それは違うでしょう。

いろんなことにぶつかって、ぶつかって、ぶつかって、
怪我をしたり、ひどい目に逢いながらもそれを乗り越えて生きていく。

それが、自分がこの時代に生きたという証明なんですよ。
生きる、ってそういう事なんじゃないですかね。

それを、
食べて出して楽に生きたい・・。
家畜と同じではないですか?

私はそう考えるんですけどね。
だから、楽に生きたいと考える人には私は役に立ちようがないですよね。

 

 

※このブログは、 読脳アカデミー学長伊東聖鎬が、ワークショップやスクール、個人相談等、さまざまなシュチエーションで参加者の求めていることに対し、脳の情報を読んで応えたコミュニケーションを、スタッフが要約して掲載しています。