大学へ行く意味って何?幸せに納得して生きていくために、それよりも大事なことは自分を信じ、自分を実践的に育てること

大学へ行くべきか悩み、苦しみ、もがいている人に語ります。

小学校から中学校へは自動送りだった。
だけど、高校に上がるかどうかは随分悩んだ。

自分にはやることがあった。
でも親や周りは認めてくれなかった。

「高校も出てなかったら、世間は認めてくれないよ。」
「最低でも高校出ていないと、社会に通用しないよ。」
「高校も出ていないなんて、みっともないよ。」
「高校くらい出ていないと、恥ずかしいよ。」

周りの声はうるさかった。

自分はそれに負けてしまった。
小学高学年の時に、親の言うこと、先生の言うことよりも、自分の考えや感じていることを優先するようにした。
そうしたら成績は落ち出した。

みんなからどうしたの?って聞かれた。
自分としては当然のことだと思っていたので、別に何も感じるものはなかった。

成績を上げることに何の意味があるの?
「自分が無い」ことの競争をしているだけじゃないの?!

自分に関係がない、 自分に必要がない、そんな知識を覚える意味って何?
誰にとって必要なのか?そんな知識、どこで役に立つのか?

中学受験のため?有名高校、有名大学に行くため?
それは何のため?資格をとって、有利に有名企業に就職して、お金を稼ぐため?
少しでも楽して大金をもらうため?
将来偉い人になるため?将来成功者になるため?

そしたら幸せになれるの?!
自分の人生に納得できるの?!

それよりも、今の自分を大事にしたい!
自分の人生は、一度しかない。
誰に何を言われようが、自分の今を大事にしたい!

そんな考えが少しずつはっきりしてきて、小学5年生の頃にはほぼ決めていた。

「自分のやりたいようにやる!」

だから成績のことは気にならなかった。

中学に入ってからは、自分の興味あることしかしてこなかった。
もっと世界のことを知りたかった。
もっと世界の歴史を知りたかった。

もっと日本のことを知りたかった。
歴史や地理、産業、産物、特産品・・・、
その土地に行ってみたかった!

体を思い切り動かしてみたかった。
だから柔道を習った。空手も奴た。器械体操も奴た。水泳も、テニスも奴た。マラソンも奴た。

山にも登った。旅行もした。自転車であちこち行った。友人とあちこち行った。

疑問をぶつけ合い、議論もした。映画もたくさん見た。本もよく読んだ。

異性ともよく話をした。親ともよく話をした。

そしたら成績が落ちた。
でもそんなこと気にならなかった。
自分は充実していた。
納得できる中学時代を過ごした!

それでも高校には行った。
まだやりたいことが、明確になっていなかったから、もう少し時間が必要だった。

しかし周りのクラスメイトを見ていると、 吐き気がしていた。
目的もなく、学校に来て、適当に時間を潰してるだけ。

親は会社を経営し、金持ちだという。
あのまま大学へ行って、卒業して、親の後を継ぐと言っている。

別の奴は、ただ学校に来ているだけ。
議論をするわけでもなく、勉強するわけでもない。
なんで学校に来ているんだ?

一番多いのはガリ勉だ。
必死に見える。
どこどこの大学を目指している、と言い合っている。
どこの会社に入りたいと言っている。
今からサラリーマンを目指しているの?
そのための大学なのか?

サラリーマンに意味があるのか?
“自分を生かすこと”こそが大事じゃないのか。

自分を主張することもできず、決まったことをやるだけ。
自分の人生をかけてまでする仕事と言えるの?
自分そのものが商品ではないの!?
そのために自分を磨くのではないの?!

どんなところを磨くのかが十分に分かっていないから、中学校から高校に来た。
自分はそんなことばかり考えているのに、 周りのクラスメイト達はもう自分を捨てている。

まだ高校生じゃないか! 何でもう自分を諦めるんだ!
これからが始まりじゃないか!
老成したようなことを言うんじゃないよ。
これから始まろうとしているんじゃないか!

大学は諦めた人間が行くところなのか?
高校の時とちっとも変わらず、ただ学校に来ている奴。
大学を出た資格だけが必要という奴。
頑張っているのは異性交流、車遊び、賭け事、飲み事・・・、全く意味が分からない。

しかしそれが悪いとは言えない。
そんな奴が卒業して有名企業に就職したりするんだから。
と言って、それが何の意味があるの?!

人が生まれてくる意味も、理由も、必要もあったはずだ。
人は何をやるべきか?
人のため、社会のために自分にしかできない何かを発見する、開発する、そんなことを探求するんじゃないのか!?

それが中学校が終わった時、 まだ確信を持てなかった。
だから高校に上がった。
少しずつではあるが、分かってきている。

中学でそんなことが分かって、 高校に行かず、社会に出た奴もいた。
「すごい!!してやられた!」と思った。

彼(彼女)はいい顔をしていた。
はつらつとしていた。エネルギッシュだった。
光っていた。羨ましかった。
遅れをとった、そんな気がした。

「待っていろ、すぐに追いつくから!」
心の中でそう叫んだ。
高校に入ってからは、少し尻に火がついたような気がしていた。
だから焦りもあった。

でも、ようやく分かってきた。
「今、全部分かっているわけではない。焦る必要はない。
闘っていける体力と気力を充実させることだ。

まずは自分が生まれ育った国のことを知ることが先決だ。
だって、自分が生まれてくるには意味も、理由も、必要もあったのだから。
それがどんな意味なのか、どんな理由なのか、どんな必要なのかを自分の脚で歩いて掴むことだ。

日本中を歩いてみることだ。
そして行った先々で、必要であればそこに留まり、仕事をしたり、地元の人と付き合ったり、その地域のことを知ることだ。
そしてまた次の地域へ。

そんなことを10年もすれば、自分がこれから生きていくこの国のことが分かってくるはずだ。

いろんな所で、いろんな仕事をすれば、自分に何が向いてるかも分かるだろう。

また、生きている限り、人と付き合う。
人の事が分からなければ、人の役にも立てないし、社会の役にも立てない。
それに、自分にピッタリの相手を見つけることもできない。

結婚して家族を持てば、 子供達とも良い関係でいたい。
理解のある夫(妻)、父親(母親)になりたい。

行った地域の地元の人と関われば、コミュニケーション力も身に付くし、関わる相手の層や幅も広くなり、どんな年齢の人とも付き合えるようになる。

そんなことをしていれば、生まれてきたことの意味も、理由も、必要も分かってくるだろう。

それがまず、第一だ。
それもやらないで、それも掴まないで、一人前の社会人、大人と言えないじゃないか!!」

そんな風に考えるようになってきた。

自分には大学へ行く意味も、理由も、必要もない。
企業に就職するために大学へ行くなどという考え方は、微塵もない。
卒業と同時に出発だ!スタートだ!

そんなこともまったく考えていない、周りの奴ら。
多分そのまま中学、高校と同じように、大学へ行ったんだろうな。
疑問もなく、議論をするわけでもなく、ただ淡々とアルバイトをし、学校に行き、 学年を重ね、そして卒業していく。
大学卒業という資格を得て、 卒業後有名企業に就職するわけでもなく、アルバイト、 安月給、安アパート、彼女がいるわけでもない。

社会に出る自信がない、 目的がない、気力がない、できればこのまま学生でいたい。
社会人なんかになりたくない。
社会人にならないで済む方法がないものか。
そんなことを言いながら、アルバイトを続ける。
2~5年、・・・10年も続ける。
いつのまにか30才になってしまう。

彼女もいない、 結婚もできない。
だって生活力がないんだから。
故郷の親元へ帰って、親の手伝いでもしようか。
そしたら親が喜んでくれるかもしれない。

このお話しは、小学高学年から自分の感性を捨て、自分に必要のない知識や情報をたくさん入れて、親の言うとおり有名高校、有名大学を目指し、目的通り有名企業に就職し、世間の常識に違和感を持たずに満足しているという人には、関係ないのです。

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