父の介護を読脳で取り組んだ日々

読脳アカデミー専科2年、柴崎智子です。
父の介護の時、読脳でに出会い、伊東聖鎬氏の協力を得て取り組んだ体験談を、お話ししようと思いこの記事を書きました。

今、介護の真っ只中にいる方々へ、本当に納得のいく大切な人の見送り方があります。そのことをお知らせできたら、嬉しく思います。

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父の介護を読脳で取り組んだ体験

真夜中に突然聞こえてきたバターンという音。
とうとうその日がやってきてしまったのか? 恐る恐る部屋を覗いてみると布団の上で倒れている父がいた。
起き上がろうと必死にもがいて、びっしょり汗をかいている。
襖の近くで倒れていたので、頭をぶつけたのだろうか? こんな時こそ、冷静にならなければ。 すぐに救急車を呼んで、病院へ向かった。

父の家系は、脳卒中が多いのですぐにそれを疑った。 倒れる数日前には、白内障の手術を受けていて、
心房細動がある為 に血液が固まらない薬を飲んでいて、手術の為に断薬をしていた。 病院に着いて検査を行ったが、失神との診断が下された。

少しホッとした。 当番の医師からは、高齢者は入院するとボケるので連れて帰ってく ださいと言われました。
父はずっと現役で仕事をしてきたので、1 日くらい入院したからといってボケるはずがないと思った。
そし て、その状態では到底歩ける訳もなく、家に入るまでには数段の階 段があるので、介護の経験もない自分たちには無理な選択だったの で、
母が「今日だけは泊まらせてください」とお願いすると、

ここ はホテルじゃない。とはねつけられ、汗だくだった父の服は脱がさ れていて……。
帰るにしても毛布か何か貸して欲しいとお願いしても断 られました。
まだ肌寒かった早春の真夜中に、そういう状態で帰れ と言う心ない医師や看護師に、疑問を感じました。

結局、その日は頼みこんで入院をすることになり、たくさんの書類 にサインをして母が付き添う事になりました。

2021年3月26日 金曜日 翌日歩行器を使って家族だけでリハビリをさせられました。
その時 の父の目は斜視になっていました。 その後、父が後頭部が痛いと訴えて、再度検査をした結果、脳伷塞 と判明しました。

もし、脳伷塞ならば発症4.5時間以内の脳伷塞に 有効とされるt-PA静注血栓溶解療法や脳血管内治療(カテーテル 治療)があることを
ネットで見ていましたが、医師からはなんの説 明もなく、どんな治療をされているかも分からず、

やっと看護師を 通じて話はありましたが、納得いく説明はありませんでした。
家族としては、はじめてのことだしとにかく心配で、いまどんな状 況でどんな処置が行われているのかを、ただ知りたいだけなのに、

担当医師にキレられました。その人はその病院の総長でした。
そし て、誤診をした上になんの配慮もない当番医は、エレベーターホールで なんの責任も感じずに笑っていました。
そして、盲目になると追い討ちをかけて、どん底に突き落とされま した。

やっと長い冬が終わり、外を歩けば色とりどりのきれいなお 花も見ることも出来るのに、それも叶わないのかと思ったら、
とめどなく涙があふれて きました。

姉が最期に関わった病院だけは避けたい、いままで病院とは縁がな く、他の病院の情報はまるで分からなく、
近所だからいいのかなくらいに思っていた病院だったが、のちに評判を聞いてみると悪名高 き病院だった。

回診でも、部屋に足を一歩も踏み入れず、指を差し 出して「これ、何本?」と聞いただけの粗末な扱いでした。
衛生管理もずさんで、変な臭いが立ち込めた病院で、とにかく、1日も早く 転院したかった。

本当は家に連れて帰りたい

そんな背景もあって、もう病院には任せられないと思い、自然療法 を試したり、母と交代で、夜も寝ずに一日中手足をマッサージして いたら、動かなかった手足も動くようになり、斜視も治っていまし たし、ちゃんと目も見えていました。

その後リハビリ病院へ転院し、父も休みなくリハビリを頑張って、 杖をついて歩けるほどになりました。
数ヶ月が過ぎると、次に考えなければいけないことは、リハビリ病 院を出て、自宅に帰るか、施設に入るかという選択に迫られます。

本当は自宅に連れて帰り、やってあげられることを心置きなくした いという思いがありましたが、
夜中にトイレに行きたいと何度も起 きるので共倒れになってしまうのではないかと母と話し合い、
本意 ではありませんでしたが、結局施設に入れることになってしまいま した。

それでも、自宅へ連れて帰る希望は捨てていませんでした。 寂しがり屋の父からは毎日電話がかかってきました。
大好きな家と母とは過ごさせてあげられない分、毎日母を連れて施 設へ行きました。
毎日会っているのに 泣いて歓迎してくれます。そんなところが、なんとも可愛らしい父で、愛されキャラだなぁと、 いつも母と笑っていました。

施設でもできる自然療法があったので、すぐに個室へ連れて行き、 いろいろやってみました。
手足もチアノーゼ色になって冷たかった ので、習っていた漢方で霊芝も良いことを思い出し、試してみると だいぶ改善されました。

施設の方々には、とても親切によくして頂きました。 それでも、問題点はありました。
リハビリ病院では毎日休みなく、スケジュールをこなして、頑張っ た甲斐があって、杖を使って歩けるほどになった父なのに、

車椅子 から立ち上がって歩くことは禁止されました。忙しくて手が回らな いなら、家族がやります。と申し出ても、責任問題、万が一の事が 起きて手のかかる利用者がいては困る施設側の事情が隠れていて、 立って歩く事が叶わなくなりました。

希望を可能にする読脳

その後、あまり食べられなくなってきて、施設の医師からこのまま 自然に見送るか、胃瘻の手術を受けるのか、選択しなくてはなりま せんでした。
その間、痰を吸引する必要が出て、喉の奥に器具を入れていくので すが、なんとも荒っぽく痛がる父が不憫でした。

私は胃ろうの手術をすることに抵抗があり、何か他の方法がないも のかネットで検索していました。そんな時に目に飛び込んで来たの が読脳です。
半信半疑で母と食い入るようにYouTubeを見まし た。本当にこんなことができるのなら、試したいと思いました。で も、母は手術を選択しました。

私はなんとか手術までにどうにかで きないかと思い、一大決心をして東京へ赴き、クリスマスイブに体 験入学することにしました。
授業の中で伊東先生へひと通り説明すると、「嚥下障害の改善は充 分可能だと思いますがね…」のお言葉に可能性を感じ、
スタッフの 方に調整の仕方を教わって、早速父に施しました。

しかし、お正月 になっても思ったような効果が上がらず、とうとう入院することに なりましたが、
病室でも人目を気にしながら手術の直前まで調整を し続けました。

そうこうしてるうちに、腹水の影響で手術できないことが判明し、 退院して施設に帰った途端、バクバク食べはじめました。

よかった!と思う反面、胃瘻できなくなった分、父の命は自分にか かっているというプレッシャーがありましたが、やるしかないとい う必死な想いで、1日に2回施設に通ったり、ずっと父の部屋につ きっきりで調整し続けました。

自分の調整では10%くらいしか効 果が出ていないとのことで、読脳ハーブティーの力も借りて、食事も完 食できるほどになりました。
腹水もポイントを出して頂き、みるみ るお腹が小さくなっていくのが分かりました。

どんなことをも可能にしてしまう読脳の凄さを体験しました。

父の最期

歌が好きだった父だったので、よく一緒に歌を唄いました。
亡くなる2日前、ちょっと様子が変わったので、施設に常駐してい る医師に「歌ってみて」と言われ、
その日は言葉にならなかったは ずの父の口から、いつもの十八番を見事に歌ってくれました。

亡くなる当日は、「く…、く…」と言葉になりません。なんて言い たいのかな? 苦しいのかな?

あとから考えてみたら、「苦労かけたな」 よく口にしていた父の言葉だったと思います。
元気な時、仕事から帰ると自分の気持ちを書にしたためていまし た。そのなかでも特に印象に残るフレーズがあります。

「人生で最高に嬉しかったこと、それは母と一緒になれたこと」 そんな大好きな母と子供たちが見送って、
そして天国にいる姉にバ トンタッチした夜でした。

「よかった」と思える未来を迎えるために、納得のいく介護をしませんか

 

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