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全国放浪の旅へ

  外国行きを諦めた私は、理想郷を求め、ニーチェと聖書をバックに入れ、当時最大のバイクを手に
入れ、リュックを左右に2つ、スーツケース2つを積み込み、全国放浪の旅の最初の地、北海道へ
出発しました。19才の春でした。「100の地域で、100の仕事をしよう」と決めてもいました。



  もっと詳しく読みたい人は「伊東聖鎬(金聖鎬)HP」へ 
-理想郷を求め北海道へ-


そんな生活を、24才まで続けました。
そのおかげで、全国にあるさまざまな差別問題や、社会のいろいろなひずみもいたるところで
見聞きし、体験もしました。

「自分の納得できる社会―理想郷」に対する思いは、益々強くなっていきました。
その後、一度は東京に戻りました。

それは札幌に住んでいた時、パトカー2台がアパートの前で止まっていました。
「伊東さんはいますか?」と聞いていたそうです。
その頃、仲間達4人と共同生活をしていました。
他の仲間が応対に出、「今、伊東さんは出かけていません」といってくれました。
「じゃ、交通違反のことで聞きたい事があるので、警察に電話するように伝えてください」
という声が聞こえました。その頃は、車の整備学校で、勉強しながら学費と生活費を稼ぐため、
タクシーの乗務をしていた時でした。

北海道に渡る前、日本海を北上していた時、山形県の鶴岡でスピード違反をし、その出頭を
嫌って無視していたのですが、今になって来たのだと分かりました。
そんなこともあり、2、3週間後には札幌を後にしました。22歳の秋のことです。

東京に戻ってからは、長距離トレーラーに乗ることにしました、また、全国を股にかけ
走り回るようになりました。約3年間、いろいろなものを運びました。後半は鮮魚の運搬を
やっていました。全国一の水産輸送会社でした。全国からさまざまな人が集まっていました。
全国いろいろな所へも行きました。そのおかげでいろいろな現実、流通、人間関係、お金の
こと・・・・・etcいろいろ知ることができました。

そして、ある人身事故をキッカケに、車から下りました。
「理想郷ー自分の納得できる空間を求めている人間が人身事故を起こすと言うことは
受け入れ難い」それが理由でした。
 
 

 

 

 

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