命をかけるということ

死と隣り合わせの現場

こんにちは
専科1年生のNです。

2018年5月26日(土)本科、専科、QOLを自分で高めるコースの合同講義の模様をお伝えします。
第一講義は伊東学長の講話。
毎回の事ですが、学長の人生観やそのスケールの壮大さには圧倒させられっぱなしです。
今日の講義の最も大きなテーマは「命をかける」ということについて。
命をかけるということは一体どういうことなのでしょう。

伊東学長は20代の頃、トラックやトレーラーの運転手をしていたそうです。
今日はその体験談を聞くことが出来ましたが、かつての運送業界の内情はかなり凄惨なものだったようですね。
生きるか死ぬか、現在では考えられない状況です。

トラックに乗った時点で死を覚悟することなど一般的にはありえませんが、規制がゆるい時代においては過積載やスピード超過、居眠り運転が当たり前。そこで無事故でいられるという方がおかしいのかもしれません。

同僚が目の前で亡くなったという経験もあるそうで、いやはや察するに余りあります。

「殺るか殺られるか」「合同慰霊祭」など、そんなシュチュエーションを皆さんは想像できるでしょうか?
さらに伊東学長は小学6年生の時、入水自殺を経験されています。
未遂に終わったから今の学長の活動があるわけですが、それをきっかけに命ぎりぎりで生きるという人生をスタートされたのです。
その生き方の上で、命がけのトラックやトレーラーの運転に繋がったようです。
「何をやるにも常に命がけ」、それが伊東学長が提唱・指導する「100%自分らしく生きる」CWハピネスフィロソフィーから出てきた生き方なのだとあらためて感銘を受けました。

「命を懸けなければ掴めない。何かを掴むには一度死んだほうがいい」そんな衝撃的な言葉が学長から発せられましたが、それは冗談ではなく、学長が掴んだ真理なのでしょう。

一度死んだらいい

伊東学長は、体感を通して説明するのが上手い方です。
スクール生の一人Nさんの腕を、伊東学長が指先で押しました。
Nさんは腕を押されていることを感じるということでした。

次に腕を押したまま、肩を強く掴みました。
すると腕を押されている感じは消え、肩を掴まれている痛みだけを感じるということでした。

その状態のままAさんの足を思い切り踏みました。
「痛い!」とAさんは悲鳴を上げました。肩を掴まれている痛みも腕を押されていることも感じないということでした。

つまりどういうことか。
閾値の問題です。
人は一番大きな刺激を感じるのです。
どれほど痛みが強くても症状がひどくても、死ぬことからみれば、それほどの刺激として感じない。
つまり、痛みや症状があっても、それらに振り回されないようになるのです。
だから、「一度死ねばいい」という言葉になるのです。
突拍子もないようですが、実のところ非常に的を得たものだと思います。
しかしながら、死んでしまってはそれまでです。
伊東学長は、一度命ぎりぎりの状態を体験し、生き残ったからいえるのです。
そんな経験、普通はできないと思います。

そこで提案された方法はなんとバンジージャンプ!
茨城に100メートル超えの飛び降り体験が出来る場所があるようですが、そこへみんなで行ってみようと(笑)

もちろんただ普通にバンジーするだけでは単なるスリル体験の域を出ません。
飛び降りる前に「もう自分は死んでもいいんだ」という覚悟と準備をしていることが大切です。

つまり飛び降りる直前には一切の恐怖がなく、全身弛緩した状態で、頭から地面に突っ込んでいく必要があるのです。

確かにそこまでの準備が出来るのであれば、チャレンジする価値は大きいと思います。
一度死んでから、たまたま生き返るというのは究極ですからね。

極論と言われればそこまでかもしれませんが、それを掴んで究極の幸せを得た人間が言うのですから、実体験に勝るものはありません。

今日も濃い内容の講義でした。